先日、7月6日
東京のヤングリヴィング日本支社で開かれたYLESで、ゲストスピーカー(?)として、初めて会員のメンバーさんやゲストさんたちの前に立った。
30人以上の人前に立つ事なんか、学生時代以来(^_^;)
カッチカチに緊張したけど、後から仲良しの会員さんや、今まで話した事がなかった方から何人も、「すごく良かった!」とお声かけをいただいて、本当に嬉しかった。
もしかすると、ゲリーも来て応援してくれていたのかも?
今回のYLESは、いつもの内容に加えて、コンベンションの報告も兼ねて行った。
コンベンションで妻メアリーが語ってくれた、ゲリーの事。
「彼は、ボスではなく、ファーマーだった」という言葉が、すごく印象に残っていた。
時には、世界中飛び回って、芳香植物を探し、その種を植える所から始める。
いつもじっとしていなかった、とメアリーが語ったように、まるで生き急ぐかのように、彼はいつも働いていた。
彼の情熱には、理由があった。
24歳で「一生、車椅子生活」とドクターに宣告されたゲリーは、神さまに祈った。
「神さま、僕の足を返してください。
もし返してくれたら、一生、人のために尽くします」
そして、奇跡が起きた。
歩けるようになったゲリーは、神さまとの約束を決して忘れなかった。
そして、亡くなるまでヤングリヴィングのオイルを作り続けた。
苦しんでいる人を助けるために、彼のオイルは作られた。
だから、たとえ他のメーカーよりも品質が良いものが出来たとしても、彼が求める成分が基準を満たしていなければ、製品化されない。
ある時、ティートリーの成分が、ほんの少しだけ基準を満たしていなかった。
このオイルを製品化しなければ、来月は赤字になる、と部下が言った。
それでもゲリーは、その時のティートリーを廃棄する決断をした。
彼は職人だ。
妥協して、営利目的で物を売る事より、本物である事にこだわった。
妥協した物に、自分の名前のついたラベルを貼りたくない。
ゲリーは、そんな人だった。
私の地元高知の方言で「いごっそう」という人を表す言葉があるけど、
彼の人となりを見ていると
「ホントにいごっそうやなぁ」
と思う事がある。
彼を信頼し、集まってくる人もいれば、ついて行けず、去って行く人もいた。
彼の知識だけを、利用しようとする人もいた。
けれど、彼の作った物をコピーする事は出来ても、それを超えることは出来ない。
彼はまさに、エッセンシャルオイル界のパイオニアだと思う。
そして、彼が30年以上研究して、彼の中にある物は、これからも誇りとともに受け継がれて行くだろう。