WHO(世界保健機関)での緩和ケアの定義(2002年)では、
「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理的問題、社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと対処(治療、処置)を行う事によって、苦しみを予防し、和らげることで、QOR(生活の質)を改善するアプローチである」と示されています。
緩和ケア病棟には、他の病棟にはない特徴があります。
・家族の面会時間に制限がない。
・ほとんどが個室で、家族が一緒に泊まれる簡易ベッドやソファーがある。
・ペット面会ができる。(病院によって個室内であれば、飼ってもよいというところもある。)
・キッチン、個室のトイレや風呂などの設備がある。
・患者さんや家族がくつろげるラウンジがある。
また、緩和ケア病棟に入院できる患者さんは、治療を目的とした入院ではないため、身体と心の苦痛の緩和がメインとなり、点滴や注射などの処置や検査は、辛い症状をコントロールされるために使われます。
緩和ケアと似ている言葉で「ホスピス」があります。
国によって解釈は若干違うようですが、日本では「緩和ケア」は主に終末期における癌の患者さんの痛みや苦痛を軽減するところに力を入れているのに対して、「ホスピス」は終末期の患者さん全体を対象とした看護であるという違いがあるようです。
私が初めてホスピスという言葉に出会ったのは、テレビ番組でした。
ある病院のホスピス病棟を取材した番組の放送を見て、とても感動したのを覚えています。
その時、私は10代か20代前半の頃だったと思います。
当時はまだ、緩和ケアという言葉はありませんでした。
そのホスピスは癌の終末期の患者さんを看取るための病院でした。
ここの患者さんは出来るだけ痛い思いをせず、のんびりと好きなことをして過ごしていい。
そんな病院があるという事に驚き、また出来ることならそういう場所でいつか働きたいと思った事でした。
ヤングリヴィングの精油との出会いのきっかけは、私のレイキの先生であるsaemiさんでした。
2011年。
私がまだアロマの事をほとんど知らなかった時、彼女のサロンでレインドロップを受けました。
それから3ヶ月に1度、全部で3回受け、ニューロオリキュラも1度受けました。
2回めにレインドロップを受けた日の夜、胸の奥に詰め込まれていた古いトラウマが表れ、1人で号泣してしまいました。
前もってsaemiさんから、レインドロップを受けた後は、感情の解放や身体のデトックスがあるかも知れないと聞いていたのでアドバイス通り水をたっぷり飲んで、我慢せずたくさん泣いて、スッキリしてから就寝しました。
その後は、あのトラウマは何だったんだろうと思えるほど気にならなくなりました。
そんな経験からヤングリヴィングの精油の力を実感していたのですが、当時はヤングリヴィングの精油と他の精油の違いがよく分からなかった事と、ネットワークビジネスに抵抗があったため、saemiさんとは徐々に疎遠になってしまいました。
けれどもそれから2年後に、AEAJのアロマの学校で勉強する事にしたのは、やはり心のどこかで感情の解放ができるほどの精油のすごい力を信じていたからに他なりません。
その後、AEAJアロマインストラクター試験に合格し、大好きなアロマを仕事にするためにリラクゼーション業界に転職をしました。
私が最初に、実際に癌の終末期の患者さんと関わったのは2014年でした。
リラクゼーション業界に転職した頃で、趣味で個人的にレイキを使ったヒーリングもしていました。
元々知り合いだったご夫婦のご主人に肝臓癌が見つかり、何かの助けにならないかと、最初は無料でレイキヒーリングをやった事がきっかけでした。
「レイキを受けた日は、不思議とよく眠れた。その翌日、真っ黒い便がたくさん出て驚いた。」
と、感想をおっしゃり、これからもやってほしいと依頼されました。
それから、ご自宅や病院に通っては、レイキや背中の指圧をしていました。
ご主人が病院に入院されてからは、薬の副作用もあって足が象のようにむくみ始めていたため、ご本人から足のマッサージもしてほしいとのご要望を受け、アロマを使ったオイルトリートメントをさせていただきました。
初めてアロマトリートメントを受けたご主人は「本当に気持ちがいい。こんなに気持ちがいいのならもっと早くやってもらえば良かった。」
とおっしゃいました。
けれどもその後、容体が急変し、還らぬ人となってしまいました。
あんなに気に入ってくださっていたアロマトリートメントでしたが、結局一度しか施して差し上げる事が出来ず、それが残念でなりませんでした。
ここからは、ミッキーの話をします。
ミッキーと出会ったのは2015年3月。
私のサロンに彼がお客さんとして来た事からすべては始まりました。
人当りの良い彼とはすぐに仲良くなりました。
saemiさんをはじめ共通の知り合いが何人もいたのに今まで出会っていなかったのが不思議なくらいでした。
けれども、出会って間もない頃に彼の膵臓に癌が見つかりました。
レベル4でした。すでに末期の状態で手術は出来ませんでした。
半年のうちに彼の身体はみるみる痩せていきました。
私のサロンに来るたびに、彼は背中や脇腹の痛みを訴えていました。
そんな彼がある日、背中に塗ってほしいと持ってきたのがヤングリヴィングの精油でした。
彼は特殊な体質で、エネルギーや化学物質の影響を身体に受けやすい人でした。
彼の身体は、放射線治療も抗がん剤治療も受けつけませんでした。
そんな彼が使っていたのが、ヤングリヴィングの精油でした。
彼のお気に入りは、ラベンダーとセイクレッドフランキンセンスでした。
特に痛みのひどい日はうつ伏せが出来なかったために、横向きに寝てもらい、精油を塗って指圧していきました。
痛点を見つけては精油を塗るという施術を繰り返すうちに、彼の背中の痛みが薄らいでゆくのがわかりました。
じつは私のサロンでは、ヤングリヴィングとは別の原液で使える精油を扱っていました。
私は当時、原液で塗っても良い精油はどれも同じようなものだと考えていました。
ある時、彼のセイクレッドフランキンセンスが施術中に切れてしまった事がありました。
私は自分の持っていた他社のフランキンセンスを使う事を提案しました。
フランキンセンスは高価なので、治療費も随分と使っていた彼にプレゼントしようと思ったのですが、彼は断りました。ヤングリヴィングのを買ってからまた来ると言って、その日は帰っていきました。
私は、なぜそこまで彼がヤングリヴィングにこだわるのか理解出来ず、自分の好意も無にされたような気がして内心腹を立てました。
翌日、彼からお詫びのラインが来ました。
そして、ヤングリヴィングのセイクレッドフランキンセンスは、自分の病気に良い影響を与えてくれると思っている事や、私のフランキンセンスは、シワやクマなどの肌の調子を整えるための成分は含まれているけれど、自分の病気には役に立たないと思うと綴られていました。
私は、自分の無知が恥ずかしくなりました。
その後、アロマの情報を交換したり、彼の病気の悩みを聞いているうちに、私たちは恋人と呼べる関係になっていきました。
彼の勧めもあって、私は自分のサロンでもヤングリヴィングのオイルを使うようになりました。
やがて彼の病状が進み、緩和ケアに入院してからは、毎日ヤングリヴィングの精油を塗ったり、足をオイルでトリートメントしていました。
時々、部屋に入ってくるナースたちは、
「ここはいつもいい香りがして私たちも癒されるわ。」
と言ってくれました。
彼のケアに毎日多くの時間を費やしていた私に、彼はいつも感謝の言葉をくれました。
そして言いました。
「オレは、お前に生かされてるような気がする。お前が毎日マッサージして、オレに命を吹き込んでくれてる。もしこの癌が治ったら、それはお前のお陰だよ。」
私にとっても、彼とともに過ごし、トリートメント出来ることがこの上なく幸せでした。
そして2016年4月。
彼の肉体は、天に召されていきました。
彼が最期を迎えた時、ドクターもナースも、彼の病状でここまで頑張れたのは奇跡だと言いました。
最後に血圧を測ったナースは、30しかなかったと言い、そんな状態で彼の意識がしっかりあった事に驚いていました。
もしかすると、ヤングリヴィングの精油たちが彼の身に奇跡を起こしてくれていたのかもしれません。
彼の肉体と最後のお別れの時は、彼が大好きだったラベンダーを、彼の耳につけてあげました。
それから、1年が経ちました。
彼が亡くなって間もない頃は、辛すぎてヤングリヴィングの香りを嗅ぐ事さえ出来なくなっていました。
けれど、ちょうど彼の一周忌を迎えた頃、再び登録し直そうと思い立ちました。
彼は生前、もし自分の病気が治って再び生きるために命を与えられたら、同じ病気で苦しんでいる人たちのサポートがしたい、と語っていました。
「いいね。私も手伝うよ。」
その時、私も賛同して言いました。
彼の想いを、まだ生きている私が引き継いで、約束を果たさなくては。
それからヤングリビングを再開し、出会ったのがmikityでした。
mikityに初めて会った時、ヤングリヴィングの精油たちの事を教えてもらいました。
種から選別され、最高の状態で収穫されるまで、どれだけ大切に育てられているか。
そして、ゲリーの植物に対する真摯な考え方を初めて聞き、私は涙しました。
以前、ミッキーがどうしてもヤングリヴィングにこだわっていた本当の理由が分かったような気がしたからです。
それはまるで、彼の意図が働いているかのようでした。
最初のレインドロップから随分と遠回りをしたけれど、ヤングリヴィングの精油に再び出会えて本当に良かったと思います。
そして、これからもずっと、彼の愛した香りに包まれながら、生きて行こうと思います。
上地知子(ルーシィ)